■師範コラムCOLUMN 求道の心と文武両道の精神
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師範 
岡部博行



平成25年11月8日≪平和主義とは≫

戦後の教育はGHQ主導の下、日本人がアメリカに二度と牙を向ける事がないよう、当時精神的支柱とされていた武士道をすべて排除、戦うことは悪とする思想を徹底的に叩き込まれてしまいます。


戦争をしない、させない平和主義は素晴らしい考えなのですが、今の日本、何かが違ってしまったのです。何かがおかしいのです。日本国憲法の前文に『平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼し・・・』というのがあります。要するに日本は諸外国にお伺いを立てなければ何もしてはいけませんと書いてあるわけです。

誰しもが、戦争ほど悲惨で残酷なものはない、平和は人類の希望だと言う。はたしてそうなのか?それではなぜ先の大戦で戦勝国は責任を問われないのか?

誰しもが、核ほど恐ろしいものはない、核廃絶は人類の希望だと言う。はたしてそうなのか?それではなぜ常任理事国は核を持っている?

少なくとも戦勝国にもそれ相応の戦争責任を取ってもらわなければ戦争はなくならない。それどころか勝てばすべて正義、しかも戦後体制を自由自在に操ることができる、そう思った時点で、今度は勝つぞ!と各国で報復の連鎖が起きるだろう。今からでも遅くはない、アメリカは戦争の責任をきっちり取り、世界の警察と自負するならば、自ら模範を示して行動してほしい。

オバマ大統領は核削減を提唱しノーベル平和賞をとったが、それってどういうことなのか?1個持つも、100個持つも同じなのだから、核のすべてを無くさなければ意味がないことぐらい誰でもわかることなのに。常任理事国の利害関係を見ればそんなことできる訳がない。それどころかアメリカ自身、核廃絶の意思なんてさらさらない。


平成25年10月16日≪歴史を知ること≫
私は、かねてより空手を学ぶということはある意味、日本の歴史を知るということで あると思っています。歴史を知るということは確固たるアイデンティティーの確立に 寄与することです。地域、国さらには世界へ貢献できる人間は、日本人であることに 誇りを持ち、歴史伝統を尊重する真の国際人として生きる人間であると私は確信いた します。

かつてイギリスで『鉄の女』と言われたサッチャー元首相は、自虐史観が蔓延し、風 俗が乱れ、経済は停滞し、イギリス病とまで言われたあの時代に突如救世主のように 現れた人物です。彼女はまず改革の最重要課題として教育の立て直しを行い自虐史観を排除、大英帝国への誇りと自信を取り戻しました。

日本もかつてのイギリスのように自虐的な教育が主流でした。いま話題となっている いじめや体罰、さらには柔道界の不祥事等々、これらすべてが偏向的な歴史観に基づ いた間違った教育の結果だといっても言い過ぎではないと思います。すべてをイギリ スに当てはめて考えることはできませんが、私たちは先ず自虐史観を完全に捨て、少 なくとも近現代の歴史を正しく理解し、日本人としての誇りを持てる教育を目指して いく必要があると思います。


平成23年5月24日≪文武両道≫
古来より日本には、文武両道と言う言葉があった。習慣があった。風習があった。学問を学び身体を鍛える。人格をしっかり持った人間を育てていく気風があった。

今日の日本において武道のありかた空手道のありかたも昔のままと言うわけにはいかないが、少しでも先人達が残してくれた精神と心を伝えていく使命が私たちにはあると思う。


戦後GHQの教育政策で不幸にも武道は排除されました。まさに日本人の「武」の精神性が置き去りになったまま今日に至ったと言っても、過言ではありません。確かに、主権回復時に武道は復活を遂げました。

しかしながら、日本人の心はいまだ戦後レジュームのぬかるみの中に浸っている状況の中、試合後のガッツポーズに見られるように、武道がある意味ではスポーツ化、欧米化してしまった現状があります。

そんな中「武」とは何か?「文」とは何か?「武」を極めるには「文」によって培われた論理的思考を追究してゆく善意なる姿勢が、我々には必要です。
私は安易に「文武両道」などとステレオタイプに掲げ道場運営するつもりはありません。

しかし現状を思うと何としてでも日本の古き良き伝統を守りたい、受け継ぎたい、武道空手を通じて子供たちに伝えたいとの強い思いがあります。道場生の方々には、世界に向けて日本の良さを発信できる真の国際人に育って頂きたいと願っています。

求道の心
江戸時代、銘木・西川材といわれた多くの木材を江戸に送り、今なお杉、檜など緑の多き埼玉県飯能市。その飯能市の地に、武道空手求道塾は15年前に発足しました。

空手は、力より技、技より心。武道空手道の修行を通し、求道の心を培い、人生の勝利者となること、これが求道塾の”誠心”である。大会・試合で勝っても、人生に負ければ、武道を学ぶ意味はない。

今の若い人は、相手ではなく、すぐに自分に負けてしまう。「武道空手求道塾」その名の通り、武の道を追求し、何事においても“求道の心”で臨む姿勢を培ってゆきたい


 
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